中津からあげの歴史

中津からあげとは

唐揚げと言えば、タコの唐揚げやフグの唐揚げなどありますが、やっぱり鶏の唐揚げ。大分県中津市に「鶏の唐揚げ」が根付いているのは、「以前中津にたくさんの養鶏場があり鶏肉の入手が容易だった」「旧満州からの引揚者が中国での食べ方を再現した」「お惣菜店が揚げたてを提供したことが評判となり類似の店が増えた」(出典:中津市市役所HP)など諸説は諸々ありますが、中津からあげを初めて作り、売り始めたのが「中津からあげ総本家 もり山」(旧:森山からあげ店)と言えます。

中津からあげの特徴は鶏肉自体にしっかりと味がしみ込んでおり、衣は薄く、カリッとジューシーな口当たりとなっています。
またもうひとつの特徴は、その揚げるための油にあります。油はすべてを取り換えるのではなく、汚れた分だけを廃棄し、その分を継ぎ足して使用します。言わば鶏の出汁が凝縮された特別な油を使用していると言えます。

もり山開店以前の大分県中津市

大分県中津市は人口約8 万5 千人の小さな町。福沢諭吉の生誕の地であることの他は、鱧料理が有名でした。総本家 もり山は1970 年(昭和45 年)7 月、大分県中津市に「森山からあげ店」として創業開始。もとより九州は鳥食文化が進んでおり、福岡では鶏の水炊き、宮崎では地鶏の炭火焼きやチキン南蛮、大分ではとり天などがありましたが、中津では特有の鶏料理がなく、もちろん唐揚げ店も存在しませんでした。ただし、当時の中津市周辺では養鶏場が数多く存在しており鶏肉の入手は容易であったという環境でした。

隣接する宇佐市がからあげ専門店発祥の地

当時の大分北部地方で存在していたから揚げ専門店は宇佐市四日市にあった「からあげ庄助」だけでした。正確な資料は残っていませんが、宇佐市の中華料理店の店主から庄助の店主が唐揚げの作り方を教わり、「からあげ庄助」を開店させたのが、からあげ専門店のスタートでした。大分からあげの由来はここにあると言われています。

から揚げ専門店は宇佐市から中津市へ

宇佐市四日市は中津市に隣接する地域であったことから、から揚げ専門店は中津市でも見受けられるようになりました。まずは「森山からあげ店」(現総本家 もり山)と「細川」(現スーパー細川)の2 店舗が開店。気軽に買えて食べやすいからあげはすぐに人々の噂になり、からあげを購入して食べることが中津市ではあたりまえのこととなっていきました。中津からあげの由来はここからきています。

第1 次からあげブーム到来

創業当時は外食産業や中食産業が発展しておらず、家庭で料理を作って食べることが当たり前の世の中。しかしながら主婦の社会進出が目立ち始めた頃で、共働きの家庭にとってお手軽な価格で食べられる美味しい唐揚げが浸透していきました。その当時からデリバリーも行い、寄合やパーティでの注文も殺到。森山開店後まもなく競合の唐揚げ店も多く出店し、近年では「からあげの聖地」と呼ばれるようになる礎となりました。

第2 次からあげブームから
中津からあげ確立へ

大分県北部では変わらず唐揚げ店が数多く競い合って営業を続けていましたが、徐々に全国にも知られるようになり、店舗前には観光バスが止まり、地元の味として観光客に紹介されるようになった2003 年頃、「森山からあげ店」が中津市大貞(おおさだ)店を出店。そこで初めて中津からあげと称し、中津市の名物として販売し始めたのが中津からあげとしての歴史の始まりです。その後、多くの唐揚げ専門店が店名に中津からあげを掲げるようになり、全国に支店を出すまでになっていきました。

いまや大分県中津市の市民にとって鶏のからあげはソウルフード!

現在、大分県中津市では唐揚げ専門店が30 店以上もあり、紛れもないカラアゲ激戦区。隣接する宇佐市や福岡県豊前市と合わせると60 店以上ある地域となっており、各メディアには、からあげの聖地として取り上げられています。そんな大分県中津市の市民及び出身者にとって、鶏のからあげはソウルフードとなっています。帰省客が多くなる正月や盆の時期には必ず食卓に唐揚げ専門店で買ってきたカラアゲが並びます。
それぞれのお客さんがおいしい店だと思っている贔屓の店があり、カラアゲの買い方も豪快。1 キロ、2 キロはあたりまえで、中には5 キロ以上買っていく人も見受けられます。また、残った唐揚げの食べ方にも各家庭それぞれの味があり、中には翌日の朝の味噌汁の具にする家庭もあるほどです。

中津からあげ総本家 もり山 の歴史 へ続く→

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