中津からあげ総本家 もり山 の歴史

もり山開店の経緯

初代店主である森山韶二は、唐揚げ専門店を始める前までは鶏卵とブロイラー生産の養鶏場の経営を行っていました。しかしながら鶏卵の低価格化により、経営状態が悪化。さらに近辺の河川の氾濫により飼育していたニワトリのほとんどを失いました。そこで苦し紛れにスタートしたのが「森山からあげ店」でした。この思いつきみたいなスタートが中津からあげ及び大分からあげの歴史のスタートになるのです。

大分県宇佐市のからあげ店「庄助」に師事

初代店主森山韶二は、養鶏に見切りをつけ、知人の紹介で宇佐市四日市にからあげ専門店を営んでいた「庄助」店主に師事。中津からあげの基礎となる唐揚げの製法を教わりました。同じ鶏でも育てる商売から調理する商売へと変わることになりました。

昭和45 年7 月三光原口に三光本店開店

ようやく中津からあげ総本家 もり山の前身である「森山からあげ店」がオープン。素人同然で始めたにもかかわらず、唐揚げ専門店が珍しかった理由もあって開店当初からおいしい店だと評判になり、順調に客を掴んでいきました。残念ながら当時の記録写真などは残っていませんが、田園風景の中にポツンと立つ店舗に客が殺到していたことは話題にもなっていました。

福岡県東部にも出店し、森山は小型食品スーパーへ

さらに美味しい唐揚げを、もっとたくさんのお客さまに食べていきたいという理由から、店舗を増やすと同時に、もり山独自の味の開発にも着手。試行錯誤を重ねてこのときにできた味が今の唐揚げとなっています。店舗は福岡県豊前市と築上郡に1 店舗ずつ出店。大分県と隣接する福岡県にも唐揚げ文化を根付かせる一役を担いました。また、顧客からの要望により、その他の食品も扱う小型食品スーパーとなり、名称も「森山食品センター」と変更されました。

多店舗経営及び大型化の難しさにより業績悪化し、縮小

夫婦2 人と数名のパートで多店舗経営を行っていましたが、その経営と管理の難しさから徐々に業績が悪化。多店舗及び大型化から10 年足らずで開店当初の規模にまで縮小することになりました。

初心に戻って、からあげ一本で再起

美味しい唐揚げとお客さまの笑顔のために、からあげ製造販売だけに絞り再出発。
からあげ専門店が多く立ち並ぶ中津の名物にと命名したのが「中津からあげ」。ここから全国的にからあげブームが始まっていきました。

総本家 もり山の歴史は、中津からあげの歴史と言っても過言ではありません。

中津からあげの生みの親、総本家 もり山創始者

森山 韶二

昭和3年12月23日生まれ
からあげひと筋45年。中津からあげを、全国に、全世界に広めるために今でも現役で店頭に立ち続けています。

店主からひと言

「究極の唐揚げを求めて、まだまだがんばります!」

私が鶏肉に関わる仕事を始めてから60 年。鳥の唐揚げ屋を始めてから45 年が過ぎました。所得がそう高くなかった九州北部の人たちに、比較的に安く買うことができる鶏肉を安心して食べてもらうために、うまい唐揚げにこだわってきました。油や調味料などに関しては高価なものでなく、少しでも安いものを使用して原価を抑え、手頃な価格で提供できるようにしました。
開店当初は苦労の連続でしたが、徐々に贔屓にしてくれるお客さんが増え、「おいちゃん、おいしかったからまた来たよ」と笑顔で店に顔を出してくれたときなどは、私自身も自然に笑顔が込み上げてきました。
うまい唐揚げでお客さんたちを笑顔にすることが自分の使命だと思っていますが、そのお客さんの笑顔が、私を笑顔にしてくれます。幸せな気持ちを与えてくれます。
その笑顔を毎日見たいから、できる限り休まずに営業してきました。今では年中無休のお店も増えてきましたが、もう何十年も休んでいませんし、これからも休まずにがんばっていこうと思います。
もう80 代も後半になり90 歳が近くなっており、身体が動き続ける限り、「生涯現役」でがんばり、究極の味を求めるとともに、今以上に唐揚げの美味しい店と言われるようにしたいと思っています。

これからも森山の唐揚げをご贔屓によろしくお願いいたします。

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